細胞の糸から多様なビジネスの可能性を紡ぎ出す/株式会社セルファイバ 【1】

最先端医療の世界で活用されることの増えている細胞医薬品。しかしその製造方法は長年進展がないままでした。東京大学発ベンチャーの株式会社セルファイバは、1本の細い管の中で細胞を均質に培養する「細胞ファイバ」技術によって、医療や創薬の分野へ、高品質な培養細胞を、使いやすい糸の形状で、しかもこれまでより大きなスケールで提供することを目指しています。その他さまざまな領域で活用できる大きなポテンシャルを秘めたこの技術を、一体どうビジネス化するべきか?難題に立ち向かってきた道のりを、創業者の安達氏と、代表取締役社長の柳沢氏に伺いました。


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【会社名】株式会社セルファイバ (CellFiber Co., Ltd.)

【設立】2015年 4月

【所在地】〒113-8485 東京都文京区本郷7-3-1東京大学南研究棟217

【URL】https://cellfiber.jp/

 

【プロフィール】

安達 亜希  

2008年早稲田大学理工学部電気・情報生命工学科を卒業後、東京大学総合文化研究科の竹内昌治研究室にて細胞カプセル化技術の研究に従事。修士課程修了後の2010年よりIT企業・バイオベンチャーにて販売促進・営業、新規事業立ち上げなどに携わり、4年後、再び東大竹内研究室でERATOの竹内バイオ融合プロジェクトの研究推進主任に着任。2015年、同ERATOプロジェクトの成果を基に、セルファイバを起業。


柳沢 佑  

2007年東京薬科大学生命科学部環境生命科学科を卒業後、学生時代からインターンをしていた株式会社リバネスに入社。新規事業企画・開発に従事していたが、再度研究のためアカデミアへ。2017年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。在学中よりセルファイバの活動へ協力しつつ、2018年セルファイバに正式に参画、2019年代表取締役社長就任。


【第1回】

東大発ベンチャーとしてのスタート


 


創業者の安達さんにお伺いします。セルファイバは東京大学発のベンチャーですが、安達さんが代表に就任される経緯はかなり珍しいものですよね。創業の経緯とともに、教えていただけますか。

安達:株式会社セルファイバは2015年4月に創業しました。私は東京大学の修士課程で組織工学を研究し、修了後はIT企業やバイオ系ベンチャーで営業を経験してきましたが、研究の現場に関わりたい思いから古巣の竹内昌治教授の研究室に研究推進主任というポジションで戻ってきたところでした。当時、竹内研はJSTのERATOという規模の大きなプロジェクトに携わっており、その申請や報告書などの書類業務、アウトリーチ業務ができる人を探していたのです。私は研究室のことも技術的な部分も理解していたし、サイエンスコミュニケーションにも興味があったので適職だと感じていました。

ところが戻ってきてしばらくして、竹内昌治、尾上弘晃らが研究開発した「細胞ファイバ」の技術を産業応用するため事業化するという話が持ち上がりました。2013年に竹内らが英科学雑誌『ネイチャーマテリアルズ』に細胞ファイバの技術を論文で発表したところ、さまざまな方面でから使いたいと反響があり、法人化することを計画していたのです。その会社の代表をしないかと、竹内から尋ねられました。

―そのときの心境はいかがでしたか。

「本当に私でいいんですか?」という気持ちでした。ERATOの研究推進主任としては裏方の実務作業をしていたので、会社を経営していくというのは、それとまったく違うのではと感じたのです。しかし会社の立ち上げフェーズでは登記や権利関係の業務が多いこと、一人で何でもやる必要があるため、事業について理解しつつ実務ができる人がよいというのが竹内の考えでした。始めてみると書類仕事もたくさんありましたし、自分の経験や特性は活かせたのではないかと思います。

―それからすぐに会社にフルコミットされたのですか。

いえ、2015年4月の創業から2016年12月までは東京大学の仕事をほぼメインで行いつつ、週1日程度セルファイバの仕事を兼務していました。その間というのは、会社の立ち上げ、東大とのライセンス契約、助成金申請などの仕事を、竹内研で秘書として働いた経験のある方のアシストを得ながら進めました。12月からいよいよセルファイバ専任となり、共同研究や委託研究の実験を進めていました。でも色々な仕事があって手が回らなくなり2017年10月に研究員2名を雇用。このときようやく製品開発に取り組める体制が整いました。

―創業当時の組織体制はどのようなものだったのでしょう。

創業メンバーは細胞ファイバの技術を開発した竹内と尾上、興津、そして私の4名で、私以外は全員大学の教員です。実務面で動けるのは私だけだったため、協力者を探しており、当時リバネスのスタッフとして協力してくれていた大坂(現・グローカルリンク代表)からサポートを得ていました。

スタート当時は、ラボのような居場所も実験設備もないところから。私の主な仕事は資金集めと体制つくりでした。資金集めは積極的に助成金の申請をしていました。体制の面では大坂などさまざまな人脈を頼り、リバネスの超異分野学会などに出ていろいろな人に会いました。のちに代表取締役社長に就任する柳沢も大坂の紹介で知り合いました。この時期はピッチイベントなどにも参加していましたが、柳沢にはこの当時から発表内容の検討などで協力をしてもらいました。

セルファイバの基盤技術

―御社の社名にもある通り、細胞ファイバが基盤技術となっています。どのような基盤技術なのか教えてください。 

細胞ファイバは、髪の毛(直径数百μm)ほどのゲルチューブの中に、均一に細胞が詰まっている構造体です。人工イクラに用いるゲルと凝固剤を、『マイクロ流路』と呼ばれる空間に細胞を精緻に順序よく合流させることで作られています。細胞種と細胞密度、細胞外マトリクスの種類を自在に調節可能であり、生体に類似した構造と機能が得られるほか、内部の細胞凝集体は外殻のゲルチューブにより大きさが一定に保たれ、周囲のストレスから保護されています。

―細胞ファイバの特長を教えてください。 

大きくは二つあります。一つは、細胞ファイバ内にある細胞のサイズが「均質」であることです。細胞を培養するとき、通常はタンク内で栄養や酸素を与えていきます。すると細胞が凝集した塊どんどん大きくなって、300~400μmほどになる。人間の体の中であれば血管の網があるので問題ないのですが、人工的に作る場合、細胞の塊が大きくなりすぎると中心部分に酸素や栄養が十分届かなくなるという一般的な課題がありました。しかし、細胞ファイバ内で培養すると、細胞の塊がゲルの空間のサイズに規定されるので、細胞に十分な酸素や栄養を確保しつつ、サイズを均質に保つことができます。こうして作られた細胞は、その後のさまざまな用途へも使いやすいものとなります。

もう一つは、細胞がひも状のゲルチューブに収められ守られていることです。細胞が裸の状態だと、かき混ぜるときの力学的な刺激で性質が変わったり、死んでしまったりすることがありますが、ゲルによって安定性や均質性が保たれています。

これらの特長から、細胞をまるで機械の部品のように扱うことができる技術として、細胞ファイバは生み出されました。ERATOプロジェクトのコンセプト「細胞をつかったものづくり」を実現する、生きた細胞でできた規格化された部品の誕生でした。

創業後、浮かび上がってきた課題

―もともと論文で発表された内容ということは、創業時に技術は完成していたということですね。

はい、そうです。開発者の竹内と尾上がいますので、量産化はまだではありましたが、技術的な部分は一通りできていました。また創業後は製品化を目指す上での基礎的な部分、細胞ファイバ内で細胞が何週間生存するか確認する作業なども進めていました。

創業当初にはすでに、共同研究をしたいという企業が何社かありました。そのため、製薬会社、食品会社、化粧品会社など色々なプロジェクトを進めれば良いかなと考えていました。ただ、後で柳沢からお話ししますが、何に使うのかという分野を十分に絞り込まず、マーケットやターゲットが漠然とした状態で会社化したのが一番の問題点だったと思います。

―多くのディープテックのベンチャーにとって、マーケットやターゲットの設定は乗り越えるべき大きな壁の一つとなります。御社はどのように解決をしようとしたのでしょうか。

ビジネスへのポテンシャルのある技術だけに、具体的にどこにアプローチする製品にしていくか、掘り下げが不足していました。そこで当時のチームでとった選択は、セルファイバをビジネス面で主導する人間を採用しようということでした。さまざまなスタートアップの採用イベントやミートアップに出るなかで、当時大学院の博士課程にいた柳沢と知り合いました。柳沢とともに1年近く活動をし議論を重ね、人となりもわかってきたところで、2018年2月、柳沢に博士後期課程修了にあわせて入社してもらいました。そして、翌年6月に代表取締役社長に就任。現在に至ります。

 


第2回へ続く


2020-09-02



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