創薬困難なタンパク質を標的とした治療薬創出に挑む/ファイメクス株式会社 【1】

人体の特定のタンパク質に適切に作用し、その働きを変えることで病気を治療する。これが薬の役割です。

特定の疾患に関連する約1,500種のタンパク質のうち、これまでに約300種に対して薬が生み出されてきました。しかし、残りの約1,200種に対する薬はまだ存在していません。その壁に挑むのが大手製薬会社からカーブアウトしたファイメクス株式会社。従来の低分子薬や抗体医薬ではない新しいモダリティを研究開発するとともに、薬となる可能性のある化合物を効率的に作って検証するプラットフォームを自社で作り上げてきた歩みについて、同社の代表取締役CEOの冨成祐介氏と、取締役の蒲香苗氏にお話を伺いました。

取材日:2020年05月13日


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【会社名】ファイメクス株式会社 (FIMECS, Inc.)

【設立】2018年 1月18日

【所在地】〒251-0012 神奈川県藤沢市村岡東二丁目26番地の1

【URL】https://www.fimecs.com/


【プロフィール】

冨成 祐介  Ph.D.

代表取締役 CEO/CSO, Co-Founder

2006年 東京大学大学院 薬学系研究科 博士課程終了

2006年 武田薬品工業株式会社

2018年 ファイメクス株式会社 代表取締役


蒲 香苗 Ph.D.

取締役 Vice President – Biology, Co-Founder

2009年 大阪大学大学院 薬学研究科 修士課程修了

2009年 武田薬品工業株式会社

2018年 ファイメクス株式会社 取締役

2020年 筑波大学大学院 生命環境科学研究科 博士後期課程修了


【第1回】


大手製薬会社からのカーブアウト

―武田薬品工業株式会社からのカーブアウトとして2018年1月に創業されました。その経緯を教えてください。

冨成:私はもともと武田薬品でメディシナルケミストリー(創薬化学)の研究者として、がん研究のグループに所属して研究開発をしていました。2011年頃、抗がん剤の研究が社内の事情で一度縮小し、炎症、免疫疾患を研究する部署に異動になりました。その後、免疫研究の中でがん免疫の研究がクローズアップされ、蒲とともに提案したIRAK-Mが社内でも優先度の高い初期プログラムとなりましたが、わずか2ヶ月後にまたも組織体制の変更があり、がんは海外部署で実施することとなり国内では優先度を落とすことが決定したのです。そのとき会社から提案されたのが、もし魅力的な研究内容ということならば、武田からも投資をする形でスピンオフベンチャーとして起業してはどうかという選択肢でした。私自身はこのときのプロジェクト、具体的にはIRAK-Mタンパク質分解誘導剤の開発に魅力を感じていたので、そこで初めてベンチャーを立ち上げよう、となったのです。当時の上司からも応援してもらい、就業時間中は会社から指示されていたメインのプロジェクト、終業後にベンチャー立ち上げのための研究をワーキンググループの形で有志とともに進めました。上司が名付けたワーキンググループ名 F-iMec (Future immunology-Unit Medicinal Chemistry)が会社名の由来となっています。

―その時のメンバーが今のファイメクス社のコアとなっていますね。

冨成:このワーキンググループに、バイオロジストとして蒲が参加していました。他にもたくさんのメンバーがいましたが、武田に残りたい人たちは次第に抜けていき、最終的なメンバーは4人。ベンチャーとして独立するには武田の審査を受ける必要があり、それに必要なデータをとる作業に追われました。いくらターゲットがおもしろくても、肝心のデータが出なければ審査には通りません。審査書類の提出の締め切りは2016年の12月末。何か月間かのトライの末、蒲が「データ出ましたよ!」と飛んできたんです。12月16日のことでした。

:どうしても根拠となるデータを出したい!と思っていました。冨成と共同提案をして進めていたこのプロジェクトは、がん免疫を抑制するIRAK-Mをターゲットとしたものです。しかしながら、IRAK-MはPseudokinase(シュードキナーゼ)、つまり偽のキナーゼであり、キナーゼ活性が損なわれているため従来の低分子化合物ではうまくいきませんでした。そこで発想を転換して、標的のタンパク自体を潰す(分解する)という方法に取り組みました。最初は武田のものではない外部のE3リガーゼを使ったところ結果が出なかったのですが、自社(武田)のオリジナルのE3リガーゼで結果が出せたので、これはいけるなと思っていたのです。

このように当初から手応えを感じていたのですが、会社が優先度を下げると決定した以上、それに従わざるをえませんでした。大きな会社であれば、このようなことはどこにでもあると思います。いくらサイエンスが本物であっても、リーダーやマネジメントが変われば会社としての戦略は変わり、現場は大きな方向転換を余儀なくされます。よしこれから、と思い描いていたので、悔しさを感じる部分ではありました。

オリジナルデータの価値と評価

―審査ではどういった点をアピールしたのですか?

冨成:12月16日に必要としていたデータが出たことで、審査書類を作り直し、期限の数秒前まで何度も書き直しをして提出しました(笑)。武田としても、会社の戦略上手放さざるをえなくても、カーブアウトしたベンチャーからいい成果が出るなら、最終的に得るものがある、Win-Winの関係を築くことができます。だから私たちは、たった1つであっても、オリジナルで、価値のある化合物を出すことができたらいいと思っていました。あとはそのキーデータからどう広げていくのか、可能性を示すだけなので。

仮説×仮説×仮説の研究だから審査には通らないだろうと言われたこともありました。従来の低分子化合物ではない新しいモダリティに、オリジナルの化合物、そして新たな手法が必要でしたから。しかしこの領域は海外の方が認知の進んでいるものでしたので、海外の先生からは非常におもしろいと評価していただいていました。武田では外部意見も取り入れた審査を行います。審査員は海外にもいるはずと思っていたのでいけるかなと思いました。

―少し話が逸れるかもしれませんが、製薬会社とコラボレーションを望む際、ベンチャーや大学などの研究機関はどういったデータを示すのがよいとお考えでしょうか。

冨成:製薬会社にいた経験からすると、そことコラボレーションしたいか?と思ってもらえるかが大事だと思います。社内でもできることであれば、別にこのベンチャーじゃなくてもいいということになる。大手製薬会社はたくさんのプレゼンテーションを見ていますので、そのなかでおもしろい、一緒に組んでやりたい、と思ってもらえるかはやはりデータや化合物にオリジナリティがあるかどうかではないでしょうか。私たちの場合、武田のライブラリに保管されている多数のバインダーからデータがとれそうなものをピックアップして化合物を作りました。実は審査に際して作ることができたのは化合物たった1個なんです。しかしたった1個とはいえ、価値があり、そこから広げていけるキーデータを示せたのは大きかったですね。

また、学会などで、データや情報をノンコンフィデンシャル資料としてできる限り出していくことも大事だと私は思っています。導出をする場合、そのベンチャーや研究機関が具体的に何の化合物を持っているのか、何のデータが出せたのかを相手としては知りたいわけです。興味がある人からは結局詳細を聞かれますし、論文で書かれていることも調べればすべてわかること。プログラムの進捗も学会などで見せていくとよいのではないでしょうか。

スタートアップとしての苦労

―立ち上げ時に苦労された点をお聞かせください。

冨成:審査に通り、いよいよ立ち上げとなったとき条件につけられたのが、武田以外の会社からも投資を受けることでした。他の投資家がいるかどうかが、プロジェクト成功の可能性を証明する判断材料になるということです。ところがこれがとても大変でした。たくさんのベンチャーキャピタルを回り投資を頼みましたが、当時はまだ私たちの技術に対して懐疑的に見られることも多く、結果としては立ち上げ時にベンチャーキャピタルからの投資は得られず、投資してくれたのは事業会社のコスモ・バイオのみでした。

―コスモ・バイオにはどういった面で評価されたのですか。

冨成:コスモ・バイオはさまざまな会社の商品やサービス、流れを見ており、伸びそうと評価していただけたのだと思います。また幸運にもその年は投資のお金に余裕があったようです。そして偶然ですが、コスモ・バイオの社長が学生のころやっていた研究がE3のリガーゼだったんです(笑)。あとから聞いた話ですが、自分がやっていた研究のその先の先をしている人たちだから応援したいと思っていただけたそうです。結果的に、投資部門に提案をしたなんとその翌週には投資が決まっていました。コスモ・バイオの支援がなければ、ファイメクスは立ち上がっていなかったでしょう。

―ベンチャーの立ち上げにはそういった縁のようなものがありますね。

冨成:今こうしてがん免疫を対象としていますが、そもそもこれすらも、社内の方針転換がなければ免疫自体やることもなかった。免疫の部署に異動になって最初に担当したプロジェクトがIRAK-4(IRAK-Mと同じファミリー)。そして直属の上司がシュードキナーゼについて取り組んでいたときに、IRAK-Mを手伝ってと言われワーキンググループに参加しました。同じワーキンググループでE3リガーゼについても取り組みました。当時はうまくいきませんでしたが、後にタンパク質分解誘導剤のワーキンググループを立ち上げるきっかけとなり、それが今ファイメクスでのIRAK-Mタンパク質分解誘導剤の開発につながっているのです。どこかで何かが一個ずれれば、きっとベンチャーの立ち上げということにはなっていないと思います。



第2回へ続く


2020-09-09



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